動画概要
国民の権利と義務の章に突入!
第3章の始まり―憲法10条の意義とは?
日本国憲法の第10条からは、第3章「国民の権利及び義務」に入ります。ここからの条文は、国民がどのような権利を持ち、どのような義務を負うのかが中心になります。10条では、日本国民の要件は「法律で定める」とされ、具体的な条件は国籍法で定義されています。
血統主義と出生地主義の違い
日本では、原則として血統主義を採用しており、親が日本国民であれば子も日本国民になります。一方、アメリカなどは出生地主義を採用し、生まれた場所で国籍が決まります。日本でも例外的に出生地主義が採用される場合があり、無国籍のリスクを防いでいます。
「国民」とは誰のことか?
一見シンプルなようで複雑なのが、「国民」という言葉の範囲です。日本国籍を持つ人が「国民」とされるのは基本ですが、実際の憲法の運用では、外国人にも一定の人権が保障されるという判例(マクリーン事件)があります。そのため、「国民」に含まれる範囲は、条文ごとに個別判断されるのです。
憲法11条が語る基本的人権の性質
11条は、基本的人権が「侵すことのできない永久の権利」であり、「現在及び将来の国民」に与えられることを明記しています。ここには3つの大事な性質があります:
- 普遍性:人種や性別に関係なく、誰もが持つべき権利
- 不可侵性:国家権力でも侵せない権利
- 固有性:憲法が与えるのではなく、生まれながらに備わっている権利
この11条があることで、すべての国民は憲法によって守られ、生きる基盤を持てるのです。
憲法改正草案では11条が変質?
自民党による憲法改正草案では、この11条の文言が変更されています。たとえば「享有を妨げられない」という表現が、「享有する」とされることで、人権が本来自然に備わっているものから、与えられるものへと変質してしまいます。さらに、「現在及び将来の国民に与へられる」の部分が削除されたことにより、「固有性」の理念も削られたと解釈できます。
憲法12条と国民の責任
12条では、国民が自由や権利を守っていくために「不断の努力」をしなければならないとされます。これは単なる義務ではなく、社会全体の秩序や安全を守るために、ルールを守ったり、他者への配慮をしたりといった日常の行動を通して果たされるものです。
自由と責任―サッカーの例から学ぶ
校庭で自由にサッカーができていたとしても、周囲に迷惑をかけ続ければ禁止されるように、自由や権利も他者との関係性によって制限されることがあります。だからこそ「濫用してはならない」と憲法にも書かれているのです。
公共の福祉と「公益及び公の秩序」の違い
12条には「公共の福祉に反しない限り」とあり、これは人権と人権のぶつかり合いの調整のための原理と解釈されてきました。しかし、憲法改正草案では「公益及び公の秩序」と変更され、より国家が介入しやすい文脈に読み替えられています。判例や学説で積み上げられてきた「公共の福祉」の解釈の歴史が、失われる危険があると懸念されています。
13条の「個人としての尊重」
13条では「すべて国民は、個人として尊重される」と規定されています。この条文は、国のために個人が存在していた大日本帝国憲法の時代を真逆から否定し、国家は個人の幸福を最大限に尊重すべきだという、戦後民主主義の中核的な思想を表しています。
幸福追求権とは何か?
13条で保障される「幸福追求権」は、人それぞれの幸せを尊重し、国が一方的に「幸福の形」を押し付けないようにするための重要な理念です。判例では、この条文をもとに「肖像権」などの新しい権利の根拠とされることもあります。
憲法改正草案における13条の変化
改正草案では、「個人として」ではなく「人として尊重される」とされ、個性や多様性を軽視しているように見えます。また、「最大限に尊重されなければならない」という表現も、実際には「最大の尊重」と比べて優先順位が下がることになりかねません。ここでも国家主導の色が強く表れています。
まとめ
今回の動画では、憲法10条から13条までを取り上げ、日本国民の定義、人権の根本理念、そしてそれを守るための国民の責任や努力の在り方について解説しました。また、現行憲法と自民党憲法改正草案の違いにも焦点を当て、文言の変化が何を意味し、どのような影響をもたらすのかを詳しく検討しました。
「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」へと変わることで、長年築かれてきた解釈の蓄積が失われ、国の恣意的な介入が強まりかねないという危機感も伝えられました。また、個人という言葉の軽視や、生まれながらにある権利の考え方を転換させるような文言の変更にも注意が必要です。
この動画を通じて、憲法の条文一つひとつが、いかに重要な意味を持ち、私たちの生活に直結しているかを感じ取っていただければ幸いです。次回も、憲法の条文と改正草案を丁寧に比較してまいりますので、ぜひご視聴ください。
動画テキスト
キャラクター | セリフ |
ゆっくり魔理沙 | じゃあ、前回から引き続いて
憲法10条から解説していくぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 10条からは第3章『国民の権利及び義務』に入る。 |
ゆっくり霊夢 | 平和の話も大事だけど、やっぱり自分にどういう権利が
あるかっていう話のほうが身近なような気がするね。 |
ゆっくり魔理沙 | 確かに、1~8条は天皇についての話、9条は戦争の放棄
の話で、 |
ゆっくり魔理沙 | 国民個人がどうなのかというよりは、日本という国として
の在り方の概要みたいなものだったからな。 |
ゆっくり魔理沙 | 『国民の権利及び義務』は、まさに国民個人個人が持つ
権利義務を定めているわけで、 |
ゆっくり魔理沙 | 霊夢の感じていると身近という感覚はおおむね
合ってるな。 |
ゆっくり霊夢 | さすが私。 |
ゆっくり魔理沙 | 身近だということは日常生活に大きく関わってくる
から、しっかり聞いてくれよ。 |
ゆっくり霊夢 | うす。 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法10条は『日本国民たる要件は、
法律でこれを定める。』となっている。 |
ゆっくり霊夢 | 憲法で決めないんかい。 |
ゆっくり魔理沙 | シンプルに『こういう人が日本国民』って決めるのが
難しいし、 |
ゆっくり魔理沙 | 日本国民の要件も時代とともに変わるかもしれないから、
法律に任せたほうがよかったんだろ。 |
ゆっくり魔理沙 | 実際、日本国民の要件は国籍法という法律で決められ
ているんだが、 |
ゆっくり魔理沙 | 何度も改正を経て、要件は少しずつ変化している。 |
ゆっくり霊夢 | そういうものなのか。 |
ゆっくり魔理沙 | 国籍法によると、基本的にはいずれかの親が日本国民か
どうかが要件となる。 |
ゆっくり霊夢 | 当たり前かもだけど、血のつながりが重視されるのね。 |
ゆっくり魔理沙 | そのことを血統主義とか言ったりするぜ。 |
ゆっくり霊夢 | それ以外で決めることあるの? |
ゆっくり魔理沙 | 産まれた場所とかな。 |
ゆっくり魔理沙 | それを出生地主義っていうんだけど、 |
ゆっくり魔理沙 | 国籍法2条3号はこれだな。 |
ゆっくり魔理沙 | 日本は原則血統主義だけど、無国籍を防ぐために
例外的に出生地主義を採用しているんだ。 |
ゆっくり魔理沙 | ちなみにアメリカは、出生地主義が原則だ。 |
ゆっくり霊夢 | アメリカで生まれればアメリカ人に
なれるのか。 |
ゆっくり魔理沙 | その通りだけど、それを狙ってやろうとする行為には、
アメリカは厳しいらしいぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 日本国籍の話に戻って、 |
ゆっくり魔理沙 | 一方で、日本国民でない人が日本国籍を取得できる
『帰化』の許可についても定められている。 |
ゆっくり霊夢 | ところでさ、日本国民イコール日本国籍の人ってこと? |
ゆっくり魔理沙 | まあ、そうだな。 |
ゆっくり霊夢 | じゃあ、憲法に何回も出てくる『国民』も日本国籍の人
のことを言ってるの? |
ゆっくり魔理沙 | うーん。 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法のいう『国民』が必ず日本国籍の人を指して
いるとは限らない。 |
ゆっくり魔理沙 | 有名な判例でマクリーン事件判決
というのがあるんだけど、 |
ゆっくり魔理沙 | そこでは、憲法第3章の基本的人権の保障は、 |
ゆっくり魔理沙 | 権利の性質上、日本国民のみを対象としていると
解釈されるものを除いて、 |
ゆっくり魔理沙 | 日本にいる外国人にも等しく及ぶと解釈すべきと
述べられている。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、憲法での『国民』の指す範囲は、
権利ごとに判断していくしかない。 |
ゆっくり霊夢 | 一筋縄ではいかないなあ。 |
ゆっくり魔理沙 | それで、 |
ゆっくり魔理沙 | 今の話の中で出てきた基本的人権のまとめ的なものが
憲法11条だ。 |
ゆっくり魔理沙 | 『国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
この憲法が国民に保障する基本的人権は、 |
ゆっくり魔理沙 | 侵すことのできない永久の権利として、
現在及び将来の国民に与へられる。』 |
ゆっくり魔理沙 | とされている。 |
ゆっくり霊夢 | とにかく国民は権利持ってる、
権利侵害は許されないって感じだね。 |
ゆっくり魔理沙 | そうだな。 |
ゆっくり魔理沙 | 『享有』とは生まれながらに持っていること。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、人権は誰しもが生まれながら持っている権利
だけども、それを憲法上でも保障しようとしたのが |
ゆっくり魔理沙 | この11条だというわけだ。 |
ゆっくり霊夢 | 人権は憲法で保障されるからじゃなくて、
そもそも持ってるってことなんだね。 |
ゆっくり魔理沙 | そして、ポイントとなるのは、人権の3つの性質を
憲法で保障していること。 |
ゆっくり魔理沙 | 『すべての基本的人権の享有を妨げられない。』 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、人種・性別・身分等
によって差別されることなく、 |
ゆっくり魔理沙 | 人間であるだけで、当然認められるべき権利であるという
『普遍性』、 |
ゆっくり魔理沙 | 『侵すことのできない永久の権利』、 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、公権力によって侵されることはないという
『不可侵性』 |
ゆっくり魔理沙 | 『現在及び将来の国民に与へられる。』 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、人間である限り当然に備わっている権利であり、
公権力や憲法で与えられたものではないという『固有性』 |
ゆっくり魔理沙 | の3つだ。 |
ゆっくり霊夢 | 3つ目『与へられる』って言ってるけど? |
ゆっくり魔理沙 | これは、天とか神とから『与えられた』風な言い回しに
なっているだけで、 |
ゆっくり魔理沙 | 固有性を表現したにすぎない。 |
ゆっくり霊夢 | 確かに『国が』とはいってないしね。 |
ゆっくり魔理沙 | このあたりの話は天賦人権論といって、自民党の憲法改正
草案の中で改正の根拠にもなっていたりするんだぜ。 |
ゆっくり霊夢 | 何が悪いのかよくわからないけど、
憲法改正草案ではどうなってるの? |
ゆっくり魔理沙 | 実は、微妙に変えられている。 |
ゆっくり魔理沙 | その変更理由が、さっきの天賦人権論が
西欧の理論で、言い回しもそれっぽくなってる。 |
ゆっくり魔理沙 | 日本の憲法なんだから日本らしくしようぜ、
っていうのが理由だ。 |
ゆっくり霊夢 | そんなこと気になる? |
ゆっくり霊夢 | というか、またでたよ『歴史・伝統・文化』 |
ゆっくり霊夢 | それよりも権利とかがちゃんとしてるか
のほうが大事だと思うけど。 |
ゆっくり魔理沙 | 『歴史』『文化』『伝統』全部憲法改正草案の前文に
入っている言葉だな。 |
ゆっくり霊夢 | これらの言葉って、前の憲法のときの
話をしてるって疑いがなかったっけ? |
ゆっくり魔理沙 | そう、天皇主権の頃の大日本帝国憲法時代
のことじゃないか?と |
ゆっくり魔理沙 | 個人的に勘ぐっているという話をしたな。 |
ゆっくり霊夢 | じゃあ、11条の変更もやっぱり
その頃に戻そうとしてる? |
ゆっくり魔理沙 | そう思う。 |
ゆっくり魔理沙 | まず、天賦人権論は、大日本帝国憲法に
おいては採用されなかった。 |
ゆっくり霊夢 | そうなの? |
ゆっくり魔理沙 | 大日本帝国憲法は天皇が制定し、
国民、いや臣民の権利も、 |
ゆっくり魔理沙 | 天皇が憲法や法律の範囲内で大切にする
という構造になっている。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、権利は天皇が与えたものであるわけだ。 |
ゆっくり霊夢 | まさに天皇主権。 |
ゆっくり魔理沙 | 天賦人権論は、この天皇主権に反する
考え方なので、 |
ゆっくり魔理沙 | 天皇主権の頃に戻したいなら、
当然変更したいところだよな。 |
ゆっくり霊夢 | なるほどなあ。 |
ゆっくり魔理沙 | 今話したことを前提に、改めて
改正草案の条文を読むと、 |
ゆっくり魔理沙 | 現憲法とのちょっとした変更部分が全然違った
見え方になる。 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法と改正草案を比べてみよう。 |
ゆっくり魔理沙 | 現憲法では、基本的人権が生まれながらに、
憲法と関係なく持っているという普遍性があることから、 |
ゆっくり魔理沙 | 『享有を妨げられない』、つまり持つのを邪魔できない
という表現になっている。 |
ゆっくり霊夢 | ほう。 |
ゆっくり魔理沙 | 一方、憲法改正草案では、前提として基本的人権を天皇が
憲法によって与えていると考えると、 |
ゆっくり魔理沙 | 与えたものをわざわざ妨げる
意味はないので、 |
ゆっくり魔理沙 | 邪魔するとかそういう話にならない。 |
ゆっくり魔理沙 | むしろ、憲法によって『基本的人権を保障するよ』、
という宣言に近くなるはずだ。 |
ゆっくり霊夢 | それで、『享有する』という言い回しになっていると? |
ゆっくり魔理沙 | 私はそう思うな。 |
ゆっくり魔理沙 | これは、基本的人権の性質の1つ『普遍性』
が失われたともいえる。 |
ゆっくり霊夢 | 憲法改正草案が対象とする国民にしか
あてはまらなくなるからか。 |
ゆっくり魔理沙 | そして、さっき天賦人権論のところで出てきた、
『現在及び将来の国民に与へられる』が削除されたことで、 |
ゆっくり魔理沙 | 固有性も消えた。 |
ゆっくり霊夢 | 不可侵性はそのまま? |
ゆっくり魔理沙 | 11条の文言だけでは、不可侵性については
なんともいえないな。 |
ゆっくり魔理沙 | 11条以降の条文がどのようになっている
か読んでいけば、わかってくるだろう。 |
ゆっくり霊夢 | どうなってるか怖くなってくるよ。 |
ゆっくり魔理沙 | このくらいにして12条に進むぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 12条は、憲法が国民に保障する自由及び権利は、
絶え間ない努力で守っていかなければならない。 |
ゆっくり魔理沙 | その一方で、 |
ゆっくり魔理沙 | 自由や権利があるからって、好き勝手に自分だけの
自由や権利を主張するだけではダメ。 |
ゆっくり魔理沙 | 他の人のことも考えて、みんなが安心して暮らせるように
していこう。 |
ゆっくり魔理沙 | という内容の条文になっている。 |
ゆっくり霊夢 | 権利を維持するためには努力が必要なのか。 |
ゆっくり魔理沙 | そうだぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 基本的人権が生まれつき誰しもが持っている
ものだとしても、 |
ゆっくり魔理沙 | それがきちんと守られるかどうかは、
自分たち次第だ。 |
ゆっくり霊夢 | とは言われましても、
どういう努力をすればいいんだろう。 |
ゆっくり魔理沙 | いろいろあるけど、わかりやすいのは、
きちんと選挙に行くことかな。 |
ゆっくり魔理沙 | 変な奴が国民の代表になって不当な
人権侵害などが起こらないように、 |
ゆっくり魔理沙 | ちゃんと情報を集めて、
まともな人に投票すれば、 |
ゆっくり魔理沙 | むやみな権利侵害は起こりづらくなるはずだろ? |
ゆっくり霊夢 | そうだね。 |
ゆっくり魔理沙 | それに、選挙は1人の票だけでは勝てないから、
他の人に情報を伝えたり議論したりして、 |
ゆっくり魔理沙 | 自分が『良い』と思う人に投票してもらいやすくしたり、 |
ゆっくり魔理沙 | 『悪い』と思う人に投票されにくい
ようにしていくのも努力といえるな。 |
ゆっくり霊夢 | ああ… |
ゆっくり霊夢 | そういう努力が足りなかったから、
今の辛い生活になってしまっているんだね。 |
ゆっくり魔理沙 | そういうこと。 |
ゆっくり魔理沙 | それに、決められたルールを守ることや、
他人の権利を気遣うことも大事だ。 |
ゆっくり霊夢 | なんでよ?せっかくなんだから自由を謳歌させてよ。 |
ゆっくり魔理沙 | そうだなあ。 |
ゆっくり魔理沙 | 例えば、学校の休み時間に校庭でサッカーを
していたとする。 |
ゆっくり魔理沙 | 校庭では他の遊びをしている子もいるだろう。 |
ゆっくり魔理沙 | そんな中、サッカーをしている子が
夢中になりすぎて、 |
ゆっくり魔理沙 | 周りの人にぶつかる、といったことが
何度も続けばどうなると思う? |
ゆっくり霊夢 | そりゃあ、休憩時間のサッカー禁止に
なっちゃうかも? |
ゆっくり魔理沙 | そうだよな。 |
ゆっくり魔理沙 | せっかく自由にサッカーできていたのに、
他人の迷惑になってしまったがために、 |
ゆっくり魔理沙 | サッカーができなくなってしまった。 |
ゆっくり霊夢 | そっか。 |
ゆっくり霊夢 | 自分勝手なことばかりしてると、
ルールが増えたりして自由や権利が制限されちゃうのか。 |
ゆっくり魔理沙 | そういうこと。 |
ゆっくり魔理沙 | だから、12条にも自由や権利を『濫用してはならない』
って書いてあるだろ? |
ゆっくり霊夢 | お金が欲しいからって、他人から盗むようなことが
頻繁にあると、おちおち安心して暮らせないしね。 |
ゆっくり魔理沙 | みんなが安心して安全に暮らしていくためには、 |
ゆっくり魔理沙 | ある人の権利と他の人の権利がぶつかりあったとき、 |
ゆっくり魔理沙 | どちらか、あるいは両方にある程度
我慢してもらう必要が出てくる。 |
ゆっくり霊夢 | それは仕方ないね。 |
ゆっくり魔理沙 | そんな、権利のぶつかり合いのない、みんなが安心安全に
気持ちよく過ごせるようにすることを |
ゆっくり魔理沙 | 『公共の福祉』と呼ぶと思ってもらったらいい。 |
ゆっくり霊夢 | なるほどねえ。 |
ゆっくり魔理沙 | ここでぜひ覚えておいてほしいのは、 |
ゆっくり魔理沙 | 11条で公権力によって『侵すことのできない』権利と
されている。 |
ゆっくり魔理沙 | だから、国民の自由や権利は制限されない
ことが原則。 |
ゆっくり魔理沙 | ただし、他の人の自由や権利とぶつかりあう、
ぶつかりあう可能性がある場合は、 |
ゆっくり魔理沙 | 例外的に、みんなが安心安全に暮らせるように、 |
ゆっくり魔理沙 | 国民の代表者が集まって作った
法律をはじめとしたルールで |
ゆっくり魔理沙 | 自由や権利を制限することになる。 |
ゆっくり魔理沙 | これは決して、国の都合を推し通すものではない。 |
ゆっくり魔理沙 | 判例においても、明言はないが、
そのような意味で使われてると考えられている。 |
ゆっくり霊夢 | 世の中法律がいっぱいあるけど、
どれも例外的に自由を制限しているってことなのね。 |
ゆっくり魔理沙 | 建前上はな。 |
ゆっくり霊夢 | うん? |
ゆっくり魔理沙 | ただ、高度経済成長の時代あたりから、公共の福祉が
単に人権と人権のぶつかりあいの調整だけではない、 |
ゆっくり魔理沙 | とする見解が徐々に多くなってるようなんだ。 |
ゆっくり霊夢 | そうなの? |
ゆっくり魔理沙 | 例えば、青少年の健全な成長を理由としてやらしい本を
はじめとした健全な成長を阻害するとされると書類などの |
ゆっくり魔理沙 | 閲覧や販売を規制する条例がある。 |
ゆっくり霊夢 | そういえばコンビニでやらしい本見なくなったね。 |
ゆっくり魔理沙 | この規制は、青少年の知る権利という人権を
規制するわけだけど、 |
ゆっくり魔理沙 | 青少年がやらしい本を読んだからといって、
具体的に侵害される人権があるわけじゃないだろ? |
ゆっくり霊夢 | 確かに被害ないもんね。 |
ゆっくり霊夢 | 規制の目的も青少年が健全に成長するためだしね。 |
ゆっくり霊夢 | ほんとに健全な成長の邪魔になるかなあ? |
ゆっくり魔理沙 | そこは置いておいて、 |
ゆっくり魔理沙 | 具体的な人権のぶつかりあいが起きるわけじゃなくても、 |
ゆっくり魔理沙 | 社会全体の利益、いわゆる公益のようなものを守るために
公共の福祉による規制が必要な場合があるじゃないか、 |
ゆっくり魔理沙 | と考えているのが現在多い見解らしい。 |
ゆっくり霊夢 | 確かに、そういう規制が必要な場合はあるのかも? |
ゆっくり魔理沙 | ただ、この考え方は、 |
ゆっくり魔理沙 | 解釈次第では国の都合を社会全体の利益のようにして
規制する危険性が高まってしまう懸念がある。 |
ゆっくり霊夢 | 社会全体の利益と言われると仕方ない
という風になってしまいやすいのか。 |
ゆっくり魔理沙 | ここまで言ったことを頭に残しながら、憲法改正草案では
どうなっているか見ていこう。 |
ゆっくり魔理沙 | まず、憲法改正草案12条では自由及び権利は、
『保持されなければならない』としている。 |
ゆっくり霊夢 | 憲法では、『保持しなければならない』だったよね? |
ゆっくり霊夢 | そんな大きく変わったようには思えないんだけど。 |
ゆっくり魔理沙 | いや、全然違うぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法の『しなければならない』は、国民自らに戒めている
ような言い方だ。 |
ゆっくり魔理沙 | しかし、憲法改正草案の『されなければならない』は、
誰かによって、 |
ゆっくり魔理沙 | 誰かに強制されているような言い回しになっている。 |
ゆっくり霊夢 | 誰か? |
ゆっくり魔理沙 | そして、続けて『自由及び権利には責任及び義務が伴う
ことを自覚』するように言われている。 |
ゆっくり霊夢 | それはよくいうよね。 |
ゆっくり霊夢 | 自由には責任が伴うって。 |
ゆっくり魔理沙 | 確かによく聞くセリフだけれども、 |
ゆっくり魔理沙 | 現憲法では、自由や権利を持っていることに対して、
責任や義務が生じるようなことは一言も言ってない。 |
ゆっくり魔理沙 | なぜなら、11条のところでも話したように、 |
ゆっくり魔理沙 | 自由や権利は生まれながらにして持っていることが、
前提になっているからだ。 |
ゆっくり魔理沙 | 自由や権利に責任や義務が伴うというのは
どういうことかというと、 |
ゆっくり魔理沙 | 責任や義務が果たせないならば、自由や権利は認められ
ないし、主張できないことを意味している。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、これは自由や権利を与えている側の思考なんだ。 |
ゆっくり霊夢 | ということは、この条文は国から国民に対して定めた
条文に読めるね。 |
ゆっくり魔理沙 | そうだな。前の憲法のときは、
人権は天皇から与えられるものとされた。 |
ゆっくり魔理沙 | この条文はその考え方に近くなっていると思う。 |
ゆっくり魔理沙 | そして、『公共の福祉』も『公益及び公の秩序』に
変更になっている。 |
ゆっくり霊夢 | 『公益』ってさっきなんか聞いたばかりのような。。。 |
ゆっくり霊夢 | どうして変えるの? |
ゆっくり魔理沙 | 自民党はこんな風に説明しているぜ。 |
ゆっくり霊夢 | あ、最初の説明はさっき魔理沙が説明した話か。 |
ゆっくり魔理沙 | そう。 |
ゆっくり魔理沙 | 自民党は人権同士の衝突だけでは、青少年に対する
やらしい本のように、 |
ゆっくり魔理沙 | 制限を説明できない部分がある、 |
ゆっくり魔理沙 | それはあいまいすぎるから、基本的人権の制約が『人権
相互の衝突の場合に限られるものではない』ことを |
ゆっくり魔理沙 | 明らかにするために文言を変更したと
説明しているわけだ。 |
ゆっくり霊夢 | でも、青少年の条例もすでにあるものなんだよね? |
ゆっくり魔理沙 | そうだ。 |
ゆっくり魔理沙 | だから、特に『公共の福祉』のままでも
困ることはない。 |
ゆっくり魔理沙 | それに、公益や公の秩序に変えたところで、文言の意味
があいまいであることには変わりない。 |
ゆっくり魔理沙 | というのも、何が『公共の福祉』で、
何が『公益や公の秩序』かを判断するのは、 |
ゆっくり魔理沙 | 結局国だからな。 |
ゆっくり霊夢 | それもそっか。 |
ゆっくり魔理沙 | それ以上に、さっきも言ったような、 |
ゆっくり魔理沙 | 解釈次第では国の都合を社会全体の利益のようにして
規制する |
ゆっくり魔理沙 | 危険性が高まってしまう懸念だけが大きくなる結果に
なるだろう。 |
ゆっくり霊夢 | どうしてそういえるの? |
ゆっくり魔理沙 | 『公共の福祉』については、戦後からの判例や学説の
解釈の積み重ねがある。 |
ゆっくり魔理沙 | その積み重ねがあるからこそ、人権衝突の場合以外にも
制約が必要な場合をうまく取り入れ、 |
ゆっくり魔理沙 | 国の都合による法規制を排除しやすいと考えられる。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、解釈の積み重ねの歴史が、無茶な解釈に
よる国の暴走に対するブレーキになるわけだ。 |
ゆっくり霊夢 | 文言が変わってしまうと、その積み重ねというブレーキを
外してしまうことになるんだね。 |
ゆっくり魔理沙 | そういうこと。 |
ゆっくり魔理沙 | 『公共の福祉』の解釈で語られる『公益』と、文言自体が
『公益』に変わるのは、 |
ゆっくり魔理沙 | 危険度が全然違うぜ。 |
ゆっくり霊夢 | する必要がないことをわざわざしようと
するのは、理由があるってことか。 |
ゆっくり魔理沙 | じゃあ、13条に進むぜ。 |
ゆっくり魔理沙 | 13条は、国民は個人として尊重される。 |
ゆっくり魔理沙 | そして、生命、自由、幸せを追い求める権利は、
公共の福祉に反しない限り、 |
ゆっくり魔理沙 | 法律をつくるときや政治するときは個人に対して
最大の尊重をしなければならない。 |
ゆっくり魔理沙 | ということを言っている。 |
ゆっくり霊夢 | 個人として尊重される? |
ゆっくり魔理沙 | そう。 |
ゆっくり魔理沙 | 前の憲法の頃は、国民は天皇のために存在したんだ。 |
ゆっくり魔理沙 | 『臣民』と呼ばれていたくらいだからな。 |
ゆっくり霊夢 | 臣民って、イコール国民の昔の言い方と思って
読んでたけど、意味的には天皇の家来ってこと? |
ゆっくり魔理沙 | その通りだ。 |
ゆっくり魔理沙 | だから自由や権利なんて法律で簡単に制限されたわけだ。 |
ゆっくり魔理沙 | つまり、民は天皇のため、国のために
存在したんだ。 |
ゆっくり霊夢 | 『お国のため』って兵隊になって
見送られる青年の姿を、 |
ゆっくり霊夢 | なんかのテレビ番組で見たことあるよ。 |
ゆっくり魔理沙 | 『すべて国民は、個人として尊重される。』
という短い言葉は、 |
ゆっくり魔理沙 | それを180度ひっくり返し、 |
ゆっくり魔理沙 | 国はあくまで個人のために存在するのであって、 |
ゆっくり魔理沙 | 国のために個人が存在するわけではないということ
を示した重要な言葉なんだ。 |
ゆっくり霊夢 | それは大事だわ。 |
ゆっくり魔理沙 | だから、繰り返しになるけど、国の都合で人権が制限され
るようなことがあってはならないんだ。 |
ゆっくり魔理沙 | あと、13条では幸福追求権を保障している。 |
ゆっくり魔理沙 | 人の幸せは人それぞれで多種多様だし、
時代によっても変わるかもしれない。 |
ゆっくり魔理沙 | それに、幸福そのものを保障すると、
国が『これが正しい幸福の形』と |
ゆっくり魔理沙 | 決めつける危険がある。 |
ゆっくり魔理沙 | だから、幸福の権利ではなく、幸福を追い求める権利を
13条で認めている。 |
ゆっくり霊夢 | 私も幸せになりたいなあ。 |
ゆっくり魔理沙 | 追求する権利はもちろんあるけど、実際に幸せになれる
かどうかはお前次第だな。 |
ゆっくり霊夢 | 手厳しい。 |
ゆっくり霊夢 | ただ、13条を見てると、幸福追求権については、
『最大の尊重を必要とする』ってされてるけど、 |
ゆっくり霊夢 | これは保障されてるって言えるの? |
ゆっくり魔理沙 | 保障されているといえるけど、後の条文で出てくる
権利の保障とは、少し性質が違うかな。 |
ゆっくり魔理沙 | 判例では、13条の幸福追求権を具体的な権利
として直接認めてはいないけど、 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法で書かれていない基本的人権を守るような
解釈をしている節がある。 |
ゆっくり霊夢 | と、いうと? |
ゆっくり魔理沙 | たとえば、京都府学連事件では、13条から、
承諾なしに個人の容ぼうを撮影されない自由があるとし、 |
ゆっくり魔理沙 | たとえ警察官でも、正当な理由なく個人の容ぼう等を
撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、 |
ゆっくり魔理沙 | 許されないとした。 |
ゆっくり霊夢 | これって肖像権ってやつだよね。 |
ゆっくり魔理沙 | まあ一般的にはそういうことに
なっているな。 |
ゆっくり魔理沙 | ただ、 |
ゆっくり魔理沙 | 判例では、『これを肖像権と称するかどうかは別』として
明言しなかったけどな。 |
ゆっくり霊夢 | SNSに友達の写真を載せるにも、
ちゃんと許可取らないとね。 |
ゆっくり魔理沙 | これから、もしかしたら今では想像もしていないような
権利がさらに生まれるかもしれないな。 |
ゆっくり霊夢 | 次は私が新しい権利の発見者になる。 |
ゆっくり魔理沙 | はは、なれるといいな。 |
ゆっくり魔理沙 | 当たり前だけど、条文にもあるように、
公共の福祉に反するのはダメだぜ。 |
ゆっくり霊夢 | わかってるよ。 |
ゆっくり霊夢 | ところで、この条文、
憲法改正草案でもちゃんとあるの? |
ゆっくり魔理沙 | あるにはあるが、変更されている部分もある。 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法改正草案では、尊重されるのは
『個人』ではなく『人』になっている。 |
ゆっくり霊夢 | これは、私にも大きな違いに感じるよ。 |
ゆっくり霊夢 | 一人一人違う『個人』じゃなくて、
『人』って一緒くたにされた感じ。 |
ゆっくり魔理沙 | そうだな。 |
ゆっくり魔理沙 | 霊夢の言う通り、 |
ゆっくり魔理沙 | 一人一人の違いは軽く見られ、 |
ゆっくり魔理沙 | 一応、人並みに尊重してやったらいいだろう、
という仕方なしでみたいな雰囲気を感じるな。 |
ゆっくり霊夢 | ここまでの憲法改正草案を見てくると、
そんな風に映っちゃうよね。 |
ゆっくり魔理沙 | それは、この条文の後半にも現れていて、 |
ゆっくり魔理沙 | 現憲法では幸福追求権について
『最大の尊重を必要とする』という |
ゆっくり魔理沙 | 自らすすんでするような表現になっているのに対し、 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法改正草案では、『最大限に尊重されなければ
ならない』という、 |
ゆっくり魔理沙 | 受け身でやらされてるような表現になっている。 |
ゆっくり霊夢 | ほんとだ。 |
ゆっくり霊夢 | でも、強制してるから、よりちゃんとしてくれそうな
感じともとれるよ。 |
ゆっくり魔理沙 | 甘いな霊夢。 |
ゆっくり魔理沙 | 現憲法では『最大』の尊重つまり
尊重が最優先事項となるのに対し、 |
ゆっくり魔理沙 | 憲法改正草案では『最大限』の尊重、
つまり、可能な範囲内でできるだけ尊重するという、 |
ゆっくり魔理沙 | 他に優先事項があるような言い回しだ。 |
ゆっくり霊夢 | 確かに。 |
ゆっくり魔理沙 | さて、ここで問題です。 |
ゆっくり魔理沙 | どっちのほうがより尊重されやすいと思いますか? |
ゆっくり霊夢 | そりゃ今の憲法のほうだよ。 |
ゆっくり魔理沙 | そうなるよな。 |
ゆっくり霊夢 | じゃあ、幸福追求権よりも優先されるのは? |
ゆっくり魔理沙 | 「公益及び公の秩序」、つまり
国の都合が入り込んでくる可能性が浮かび上がってくる。 |
ゆっくり霊夢 | ここまで周到に一貫性があることに、
もはやすごいと思っちゃうよ。 |
ゆっくり魔理沙 | 次の条文に行きたいところだけど、
長くなりそうだから今回はこのくらいにしとこうか。 |
ゆっくり霊夢 | さすがに今回の参院選には間に合いそうにないね。 |
ゆっくり魔理沙 | もっとざっくりやることもできる
だろうけど、 |
ゆっくり魔理沙 | それだとわざわざやる意味が
半減する気がしてな。 |
ゆっくり霊夢 | 最近は短い動画多くなってるのに、
わざわざ逆張りするなんて。 |
ゆっくり霊夢 | そんなだから再生回数伸びないんだよ。 |
ゆっくり魔理沙 | それは言わないで。 |
ゆっくり霊夢 | 最後までご視聴ありがとうございました。 |
ゆっくり魔理沙 | それではまた次回! |
ゆっくり霊夢 | それではまた次回! |
編集後記
もともとうちのチャンネルの動画は、放置期間も長いのもあってか、インプレッションも伸びにくい傾向にありましたが、憲法解説動画は輪をかけて伸びにくくなってると思います。
サムネイルが悪いのはもちろんありますが、クリック率も悪いですしね。
こんな嫌になるニュースばかり流れてきたり、出来事ばかり起こるような苦しい世の中では、何も考えずエンタメに走りたくなる気持ちもわかります。
僕も油断してたら気楽に楽しめる動画みちゃいますし。
でも、税金をあげられたり、わけわかめな法律が作られたり、本当に必要な法律が作られなかったりする今こそ、憲法はしっかりと勉強したほうがいい。
今まさに勉強しまくっている僕はそう思います。
これから選挙で風向きが変わり、政権が変わって憲法改正をするってなるところまで行くことがあるのかどうかわかりませんが、
改正するとしても、下手な改正をされると、それこそ今のなんとかギリギリのところで平和だよ、と小声でいえるような現状も破壊されかねません。

サムネイルは、基本的人権が固有の権利であり、個人が尊重されていることにウキウキしている様子を表現したかったのですが、なんかミスったかな(笑)